プラスティック・ネイション 1


「グマさん、塩化ビニルって知ってる?」

ある平日のランチタイム。その日私はタグチという女性と一緒に食事をしていたのだが、彼女は注文を終えたとたん、出しぬけに私にそう問うてきた。
タグチの表情は真剣だった。
普段はもっとふざけた顔をしているものだから、私は逆に噴き出しそうになったが、生憎私の肚の中には吐き出せるものが何もない。あたり前だ、それをこれからおさめるために、私たちはここにいるのだから。

私はいかにも爽やかな美青年の体を崩さぬよう、貴重なエネルギーを無駄なことに使わぬよう努めながら、タグチのクソ真面目な顔に問いを返した。


「塩化ビニル? 水道管なんか使われているアレのこと?」
「うん、字面はその通り。でも人間なの。見た感じ男っぽい感じなの」


タグチは机の対面に座っているが、私の方に身を乗り出さんばかりにして聞いてきている。
男っぽい感じとは一体何なのだ。見て男っぽいならそれは男に相違ないのではなかろうか。
それともニューハーフか何かだろうか。または「男」っぽい漢字を堂々と服にプリントしているのだろうか。

しかしそんなことは今はどうでもよかった。


ポリ塩化ビニル。熱可塑性樹脂の一つであり、可塑剤の配合量を調節することでどうとでもなる夢の材質。
まぁつまるところ、都合のいいヤツである。

私も学生時代になんとやらというゼミで聞いた覚えがある気がするが、そのときはこんな良妻賢母な材質があるだろうかと血沸き肉躍ったものだった。
硬くも柔らかくも、滑らかにも荒々しくも、果てはエンピツの字まで消してしまう。まさに変幻自在、有象無象である。しかし実のところタグチに問われるまでその存在を忘却の彼方へ大遠投してしまっていたという事実はここだけの話である。

しかしそんな栄光のエピソードを踏まえたうえで、いくら美的で有用な物質の誉れ高き名とはいえ、東奔西走どこを巡ったところで、それは無論人の名前になどなるべくもないワードである。
もし私がそんな名前を受けていたなら、今頃こうしてほわほわとした美少女とお茶をすることなど恥ずかしくてできたものではなかっただろう。むしろマントルまで届く穴をJAXAあたりに注文するところだ。


そんな名を冠することになったその顔も知らぬ男に、私は同情の念を禁じ得ない。
にぎりっぺが如く生暖かい同情の空気が、今頃彼のもとに届けられたはずだ。要らぬとは言わせない。
屁とてタダではない。それが現代社会、資本主義というものである。ありがたく受け取るがいい。


次へ

プラスティック・ネイション 1
やめる