亡国のフロイライン 【第一話】

空はよく晴れており、西日が鮮やかに張りぼての街を照らしている。遊園地の入り口付近に造られた偽街は、お土産屋やレストランなどの施設が立ち並ぶ。
その街角からSL風の遊覧列車がゆっくりと走ってきた。今日は特別に造花で飾り立てられている。
列車がゲート前の終着駅に到着すると、乗客がぽつぽつと降りていく。
遊覧列車は遊園地開業以来、ずっと園内を走り続けてきた。一体どれほど多くの家族連れやカップルの笑顔を、その車窓に映してきたのだろうか。
本日4月30日を持って、遊園地は閉園する。
「今日までのご愛顧、誠にありがとうございました」


最後の来場客に対して、久住篤志は丁寧に頭を下げた。再び頭を上げると、太陽光が彼の明るい茶髪をきらりと反射させる。
全ての客がゲートを抜けると、篤志はそっと息を吐いた。
「さて、帰るとするか」
そう呟いてゲートに背を向けると、ここから少し離れた場所にある事務所へと向かうことにした。
この遊園地でアルバイトを始めて、出会った様々な出来事についつい思いを巡らせてしまう。篤志はポケットから小さな箱を取り出して、しげしげと眺め再びポケットにしまった。
さやさやと梢を揺らすそよ風と、石畳を歩く自分の足音だけが聞こえる。篤志は機嫌は良かったが、胸の奥には沈んでいくような切なさが広がった。
「…あれ?」
篤志はある事に気づいた。ゲートを離れて大分経つのに、一向に事務所に着かない。
「どうなっているんだ?これは…」
黄昏が偽街を呑み込み始め、篤志は夕闇の中を彷徨い歩いた。誰もいないはずなのに、誰かの笑い声が聞こえる気がする。
篤志は自分の知っているルートを何度も確認した。しかし、必ず元来た道へと戻ってしまう。
同じ道を何度もグルグルと回っていることに気付いた篤志は、次第に焦りはじめた。
やがて焦りは混乱に変わり、自分が完全に迷ってしまったと感じる。偽街が自分を取り囲んで、逃がすまいと立ちふさがっているような気分になり、思わず辺りを見渡した。

偽街の中に一つだけ、明かりの灯る建物がある事に気付き、そこに逃げ込んだ。無我夢中で気付かなかったが、室内アーチェリー場だった。
アーチェリー場の中は特に普段と変わっていない。静かに1人で過ごすことができた為か、かなり気持ちが落ち着いてきた。
篤志は思い付いたように、アーチェリーの弓を取ってみた。高校の頃は弓道部に所属していた為、なんとなく試してみようという気になってきたからだった。
矢をつがえ、的を見据える。
勢いよく放つと見事に命中した。
「お見事〜」
不意に声がアーチェリー場に響く。振り向くと、若い女が壁に寄りかかって手を打っていた。
篤志は、思わず身構えた。女の容姿があまりに奇妙だったからである。サラサラした銀髪を腰まで流し、プルシアンブルーの軍服風の衣装を身に纏っている。まっすぐ見据える赤い瞳が印象的だった。
「見ない顔だな、アンタ」
女はゆっくりと近付いてくる。
「…なんだよ、君」
「ん?アンタ、私の顔も知らねえのかよ」
女は少し面食らった顔をした。そして、その後すぐに何かを納得したようにうなずいた。
「ああ、何やら夕暮れが悪戯したようだな」
「…は?」
「アンタ、外の人間だろ?」
篤志はロクな返事もできないでいた。
今日はいつもと違うことが多すぎる。最後の仕事を終えようと事務所に向かおうとするも全然違う変な所に迷い込んで、よく分からない女に絡まれている。
一体、僕は何をしでかしたというんだ?
「……帰るよ」
「は?どうやって?」
女がおかしくてたまらないという顔をしたので、つい篤志は怒りを覚えた。そしてそのまま感情に任せて、アーチェリー場を飛び出した。
もう既に辺りは暗い。
「何だあの変な女……」
 足元を気にしてやや伏し目がちに歩く篤志にふっと影がかかる。
 薄暗い周囲がさらなる闇に満たされた。
 えも言われぬ寒気を覚え、はね上げた視線のすぐ先には、頭から暗黒のシーツを被った巨人のような陰。
見上げた頭部らしき箇所には目の代わりに縫い付けられたボタン、その外れかかった穴からのたうつ二本の触手が生えた異形。足はもげ、地の上をうねるようにじわじわと這い寄る巨体。
 突然の出来事に驚き、不気味に綿を散らす怪異に固まる篤志の瞳に、大蛇のように身をくねらし空中を進んでくる触手が映った。
 迫りくる死の予感が、視覚を研ぎ澄ます。
 音を失った世界を、冗談のようなスローモーションで向かってくる異形の魔手。可愛らしい表情がかえって不気味に、グロテスクな動きを見せる。
 もどかしいほど遅い自分の動きに焦りを感じながら身をかわす篤志の視界に、突然銀光が飛び込んだ。
 夜空を流れる星のように、斜めに振り下ろされたサーベルが、闇と共に触手を切り裂く。
 白刃とたなびく長髪が、月光を受け宙に銀の弧を描いた。
 女剣士は勢いのまま回転すると、しなやかに身をひるがえし跳躍し、陰の頭頂から一気に切り下ろす。
「ギィィィィィィィィィィ!」
 ガラスを引っ掻いたような、姿に似合わない嫌悪を感じさせる硬い断末魔の悲鳴をあげ、巨体がのたうち、形を失い崩れていく。
 汚泥にまみれた柔らかいそれは、気持ち悪く弾けて消えていき、やがて散った綿を残して跡形もなく消滅した。
「アンタねえ、今日は特別鬼が多いのに簡単に帰れるわけがねえだろ!」
月光に照らされながら、銀髪の女は叫んだ。
「ご、ごめん…」
恐怖のあまり、篤志は腰を抜かしていた。すると、女は動けないでいる篤志に手を伸ばした。
「良かった、無事で……」
そう言って、ホッとした表情を見せる。続けて女は篤志に尋ねた。
「アンタ、名前は?」
「……くっ、久住篤志…」
「そうか、いい名前だな」
女はニッコリと篤志に笑いかけた。
「久住篤志。ようこそ、夜の遊園地へ。私の名はギルベルタ、この国の女王候補だ」


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