世間一般では、このような出来事のことを、このような記憶のことを、「黒歴史」と呼ぶのかもしれない。
 その禍々しく、黒く澱んだ歴史に向き合うために、今日私はここに来た。
 道を間違えそうになったとき、叱ってくれた友を誇るべきだった。
 私のことが嫌いだと、真っ直ぐと言葉に出してくれる人がいることに、もっと感謝するべきであった。
 煙たがらずに、自分の間違いを認めるべきであったのに、あの日の私にはそれが出来なかった。
 偉そうな物語を書くわりに、私自身は、全く出来た人間ではなかったのだ。


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だって、私たちは永遠だから s.2
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