「やぁ、おはよう。」
「おはよう、って。あなた誰ですか。」
「医者だよ。」
「泥棒の間違いじゃなくて?」
「医者でもあり、泥棒でもあるんだ。」
「警察呼びますよ?」
「呼んだところで僕は捕まらないけどね。」
そんな会話が、その一日の始まりだった。
男はやけに安らかな顔で、私の顔を眺めている。服装は、泥棒に入るには似つかわしくない、普通の柄つきパーカー。
泥棒にしたら、もっと急いだり焦るだろうに、彼はそれどころかどこか嬉しそうに私を見るのだ。
そこにあるのは、悪意や、殺意や、ましてや暴力の色などではなく、
ただ静かに、こっちをみているのだ。
「……誰なんですか。」
「名前なんてものは、持ち合わせていないんだよ。いや、不要というべきかな。」
男は、にこりと微笑むと、睨みつける私の額を撫でた。
優しい手だった。
「どうやってここに忍び込んだんです?」
「どうやってって、玄関からに決まってるだろう?君の両親にご挨拶もしてね。」
両親に、挨拶?
そんな馬鹿な、いくらなんでも見知らぬ男を簡単に招き入れるわけがない。
いったいこの男は何者なのだろうか。
「……私に、何の用なんですか。」
「僕の用?そうだな……今日一日、僕は君のそばにいることになっているんだ。」
「はい?」
「さっき言っただろう?僕は医者なんだよ。君の主治医。」
そう言って、彼は一枚の紙切れを私に差し出した。
そこには『前向性健忘』という病名が記されていた。
次へ
s.1
やめる