初夏。
今年はいつもと比べて少し気温が高い。


あの人が残していった写真を見つけた、とあの人の祖母が私に手渡してくれた。
…どれも2人で行った場所の写真ばかりだ。


私はこれを、この思い出を歩いていくことにする。






よく遊びにいっていた教会。
昔はちゃんと機能していたのに、今ではもう廃教会となってしまった。
よく中のオルガンで遊んでいたのを思い出す。
ピアノを習っていたあの人が、来るたびにそのオルガンで弾いてくれた曲が好きだった。
ピエロだかマカロニ見たいな名前の人が書いた、なにかの間奏曲。
いまは、鍵盤を押しても壊れているのか音が鳴らなかった。
できることなら、もう一度聴きたい。
教会を出て少し歩くと、市場通りに出る。
この通りにはよくストリートミュージシャンがやってきては、少し音程の外れたギターをかき鳴らして、か細い声で愛を歌っている。
はっきり言って上手くはない。少し聞き苦しいと思う。
が、一度だけ来た男女2人組が歌っていた、負け犬が吠えたいあの歌は良かった。







通りを抜けると、そこには小学校が建っている。
私が通っていた小学校だ。
放課後になると、よくあの人に連れられ、下校時間ギリギリまで図書室で一緒に本を読んでいた。
ネズミが新しい住処を探しに大冒険する話が特に好きで、アニメもテープが擦り切れるほど見返した。
あれが私が最後に見たアニメだった。

いつだったか、美術の時間に描いたお互いの似顔絵はまだ展示室に飾られているのだろうか。
あの人が必死になって描いた似顔絵はお世辞にも似てるとは言えない出来だった。
絵はてんでダメだったが、写真を撮るのは非常に上手かった。
何かあるたびに、教師もあの人に撮影をお願いしていたほどだ。
「その時その時を、ありのまま切り取ってくれるから。いつか写真家になりたい」
何かの時にそう言っていたのを覚えてる。

小学校の脇の通りには老夫婦で経営しているこじんまりとした駄菓子屋がある。
週3回はそこへ寄り道していた。
あの人はよくカルメ焼きを買って美味しそうに食べていた。
それをみて私もカルメ焼きを食べてみたが口に合わなかった。
今ならきっと、普通に食べられるのだろう。
中ら当時通っていた時のまま、何も変わっていなかった。
レジ横に置かれた薄茶けた写真立ても健在だった。
仲良くならんだ若かりし頃の夫婦の写真だ。
老夫婦も変わりもない。
ここだけ時間が止まっているのではないかと思わされてしまう。







駅から徒歩10分ほど歩いたところに、小さい水族館がある。
小さいと言っても、よくテレビのCMで見るような水族館と比べての話だが。





ちょうどイルカショーが始まる時間だったので、まっすぐ会場へと向かう。
毎月、一回は2人で来ては必ずこのショーをみていた。
ショーの後にはイルカに触れる体験をさせてもらえるのだが、あの人は20歳を超えても必ず参加していた。
イルカはこの世で3番目に好きだ、と言っていたのを思い出す。
ショーの後は、館内のレストランで少し早めのお昼を食べた。
頼むのは必ずイルカの形のライスにカレーをかけた「激辛イルカレー」だ。
2人とも辛いのに弱いのに、毎回これを頼んでは汗だくになりながら食べた。
食べた後は、適当に館内を回って帰るのが当たり前だった。
今思えばこれはデートのような物だったのかもしれないが、あの人はどう思っていたのかわからない。
たぶん、この先も。わからないままだ。






バスに揺られて15分、森林公園の中にある湖へと向かう。
特に遊具があるわけでもなく、湖の周りに散歩用の道が舗装されている程度だ。
水族館の後は決まってここに来ていた。
ただ湖の周りをぐるぐる回ってあの人のたわいもない話を聞いてるだけ。
「この湖にはヌシがいて、サルとお友達」だとか
「昔、悪い人たちがここの守神を見つけ出すために爆弾を仕掛けたことがある」とか、都市伝説や根拠のない噂話ばかり。



当時は何も知らない人間だったので、どの話も本当なんだと信じて疑わなかったが、大人になった今、どれもあの人の作り話だったんだなと今更ながら思う。
なぜそんなことをしたのかは全くわからない。
…自分が思ってるより、私はあの人のことを理解していないのかもしれない。
ふと見ると、湖の中央に1隻のボートが浮いている。
そういえば貸出所があり、お金を払えば1時間だけ借りられるのだ。
1度だけ2人で乗ったことがある。
割と最近だった。
あの人が乗ってみたい、という理由だけで。
木造の、まっさらなボート。どこか沈んでしまいそうですこし不安だったのを覚えている。
それでもあの人は気にせず、ただひたすらにボートを漕いでいた。
「このまま、どこか知らない素晴らしい景色を見に行きたいな」
常に笑顔だったあの人が、唯一、すこし寂しそうな顔をしていた気がする。
そんなあの人に私は…
「探しに行こう、知らないところは無理だけど、この街で、綺麗な景色が見える場所」
…そうだ、そう言ったんだ。
それであそこを見つけたんだ。
海の見える、あの小さな丘を。






小学校裏の、立ち入り禁止の深い森。
そこを抜けると、海が見える小さな丘があった。
丘の上には1本の広葉樹が立っているだけ。
その木に寄りかかって、夕陽が沈むのをよく見ていた。
あの人は来るたびに「今までで一番綺麗な景色だ」と言っていた。
いなくなる前の日も、ここに来て同じことを言っていたのを覚えている。
ただ、一つ、いつもと違う一言を添えて。
「死ぬときも、こんな景色を見ていたい」

数日前から咳き込むことが増え、日に日に痩せ細っているのは感じていた。
立ち上がるのもしんどそうなときだってあった。
…私は、気付いていたんだ。
それでも、現実から目を背けたくて、気づかないフリをしていた。
あの人がいなくなって、私はどう生きていいのかわからなかった。
この1年も、何をするわけでもなく、寝て起きて、吸収排泄を繰り返すだけだった。
ただあの人の後を着いて、真似るだけの人生を送ってきたのだ。
あの人が、あの人だけが私の人生だった。
死ぬ度胸もない、私はこの先どう生きていけばいいんだろうか。






特に意味もなく、写真をパラパラと見る。
ふと、一枚の写真に目が止まる。
初めてここにきた時に見た、夕陽の写真だ。
顔を上げると、その時と同じような光景があった。
あぁ、綺麗だ。とても。
せっかくだ、この光景を写真に残しておこう。
あの人が残したこのカメラで。








撮れた写真は、あの人が撮ったものとほとんど大差のないものだった。けれど、この写真にはどこかあの人の影を感じさせる何かがあった。
…写真は、その時をありのままに切り取ってくれるもの。
つまり、これは私が見たモノ、記憶と言ってもいいと思う。
何かで読んだことがある。
『人は二度死ぬ。一度目は、肉体的な死。そして、二度目は忘却による死。すべての人が、その人の存在を忘れてしまった時に、本当に人は死ぬ。』
きっと、あの人は二回も死ぬことを望んでいない
もちろん私もそんなのはごめんだ。
なら、誰かの記憶に残ることをしていけばいい。
この写真を持って、あの人の見たモノ、記憶を世界に広めよう。
私自身も、世界中の景色をこのカメラに収めていく。
いつか、向こうに行った時、あの人にも見せるために。





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